何かを成し遂げる才能はひとつの才能だけでは足りない

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アンリ・ルソー 1844-1910



自分に何の才能があるのかはわからないが、何の才能がもう少し欲しかったのかはわかる。

才能とかセンスというのは何かを成し遂げる上で決定的な力を持つ。
この才能という成分のほとんどが生まれ持ったもので後天的にあとから「努力」で付け足される部分は先天的な能力を超えることはない。

こうかくと一部の人は反感をもたれるかも知れないが、事実なので他に書きようがない。夢を見るのは勝手だが、人は夢見たところまで行けるわけではない。

そして人は必ず何らかの才能を有しているが、その才能に覚醒するかどうかはまた別問題だ。
だいたいその才能を有しているかどうかは本人ですらまったく分からない事も多く、たまたまある事をしてみたら1番になってしまったとかで「気がつく」事もあるだろう。

または他人に指摘されて初めて気がつくというケースもあると思う。

問題なのは好きなこととその分野に才能を有しているのは別なことなので、こういう場合は限りなく不幸を生んでしまう場合も多い。もちろん本人が満足しているのならそれで良いのだが、話しはそう簡単なことではなく、周りを巻き込んで不幸をばらまくケースも多い。

そもそも才能にもその分野にちょっとだけ才能がある場合とずば抜けた才能を持つ場合があって、たいていの場合その世界で勇躍するためにはずば抜けた才能がないとどうにもならなくなって行き止まりになる可能性が高い。

そういった才能は最初から天性のものとしてその人に与えられている。

随分昔の話しだが昔こんなことがあった。

確か18才くらいの頃だと思うが僕は友人と連れだって神社を訪れたことがある。参拝を終えて境内をブラブラしていたらたまたま参拝に来ていた年配のおばさんが話しかけてきた。

たわいもない世間話なのだが、おばさんは「娘のことでお礼に来た」というので何かあったのですかと問いかけると、娘さんは漫画家で「なかよし」という少女漫画雑誌に連載を持っているというので驚いた。

読んだことはないが名前は知っている有名な漫画雑誌だ。

それも話を聞くとなかよしのトップ漫画家でまだ高校生だという。それでどうやって漫画家になれたのか聞いてみると、なんと中学時代にその子の漫画を見て驚いた中学の先生が出版社に紹介したらそのまま連載が決定したという。それでトントン拍子に漫画家になりなかよしでも1番の売れ行きを維持しているのでいつもこうやってお参りに来て感謝を捧げているのだという。

漫画家と言えばあらゆる才能のデパートのようなもので部分の才能だけではまったく太刀打ちが出来ない。

考えてみよう。

■ストーリーを考える才能
■画を書く才能
■言葉を紡ぐ才能
■構成する才能

などなど。一連の才能が高い場所で止揚されていないと漫画家にはなれない。そのうちのひとつがかけているくらいでは何とか他の才能がずば抜けていればカバーできるのだが、2つかけていたらもう漫画家にはなれないと思う。

最近では進撃の巨人の作者などはデビュー当初から「絵が下手」と言われているが他の才能がこれをカバーしてあまりあるというわけである。
絵画の世界などではアンリルソーなどはその典型だろう。歴史に名を残す大画家でもあるのに「絵は下手」というよりも細かいデッサンなどはほとんどデタラメであるにもかかわらず、魂を揺さぶるような筆致で絵を描くのでピカソなどの名だたる画家たちは当初から賞賛を惜しまない。

ちなみにピカソはキュビスムなどの訳の分からない絵で有名であるが元々ピカソは「普通の絵」を描かせても大天才なのである。15才頃に書いた人物画などはもう溢れるばかりの天才が迸っている。

フランスと言えば夭折の天才レイモン・ラディゲだが、彼は小説家である。その才能を見抜いたのが詩人のジャン・コクトー。

才能は才能を見いだすのである。

このように実際のところ抜きんでた才能というのはそのほとんどが生まれ持っているもので後から付け足すことが出来ないが、努力すれば多少埋められたりもするので凡人ほどその点で勘違いしやすい。

最近は特にリベラル的な教育のたまもので「みんな平等」みたいなたわごとをほざくので余計に始末が悪い。言葉を幾ら労して偽装しても才能はどこからも生まれてこないのである。

男女に性差があるように人それぞれ才能が違い、努力で埋められる範囲は「飯を食うのが精一杯」であって、例えばその10年にわたる労苦がセンスある人の1分に及ばない。

残念だけがこれが事実である。

そして、何かを成し遂げる才能というのはひとつだけは無く幾つかの才能の集合体なのである。世によくある不幸がそれを成し遂げるためには3つの才能が必要なのにひとつだけしか持ち合わせていないのでいつまで経っても芽が出ないというケースである。

こういう人は要するに「才能がない」のだ。もしくは才能の別な組み合わせを探した方が良い。あるいはそれを持つ才能の人と組み合わせると一気に芽が出る。漫画家で云えばストーリーテラーとしての才能がなければ原作者を見いだすようなものだろう。

もう一度言う。

人はみんな何かしらの才能を持ち合わせて生まれてくるが、その才能の高さと範囲はあらかじめ決まっている。
それは本人でも気がつかないケースも多く、一生、自分は本当は何の才能を持っていたのか知らない人も多い。
才能の高さと範囲に気がつくだけでも大きな収穫だろう。

ただ多くの人は好きな分野で「才能がない」という現実に直面すればその実相を直視できないだろうが。目を背けても事態は何ら変化しないので同じ事ではあるだろう。

それからもうひとつ云っておくが世間でよく云う「運も才能のウチ」といわれるが、これもある種の領域では本当である。そしてこの運というものが1番厄介で掴みづらいのが難点ではある。

そう考えると「運」というものも実に豊かな才能のひとつかもしれないが・・・・・。

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